中学受験家庭教師の国語メインブログ

23区西部在住の家庭教師が日々思うことを書いていきます。

2012 麻布中 国語

堀江敏幸「トンネルのおじさん」              

                     『未見坂』所収

 

 

あらすじ

 

夏休みに親の都合で田舎のおじさんの元に預けられた主人公。

おじさんは自由研究のために少年を山に連れ出します。

 

ぶっきらぼうで、

どう付き合っていいのか戸惑っていた

おじさんと山で過ごすうち、違った一面に触れ、

主人公は親しみを感じていきます。

 

 

問12

 

(主人公は冒頭で、おじさんに登山靴を貸してもらいました)

 

「この靴、だれのなんだろう?」とありますが、

君はどのように考えますか。

 

A 「おじさんの靴とおなじ型の、サイズだけ極端にちがう革靴が入っていた。

  いたみはあるけれど、まだ革の色つやもいい。

  大切にされているのがひと目でわかった。」

 

B 「視線を移したおばさんのまゆが、一瞬、ぴくりと動く。

  両の目が大きく開いて、表情がくずれかけた

  そのぎりぎりのところで平静をとりもどし、これをはかせていくの?

  とたずねた。」

 

に注目して、君の考えを書きなさい。

 

冒頭から、誰の靴か明示されていなかった点について考えさせるものです。

 

文中には、主人公の母親が今の少年と同じくらいの時、

同じように工作の宿題のため、おじさんとこの山に来たことがある旨、

語られています。

 

また、少年の目から、おじさんは母親と似ている、

という旨も何度か述べられています。

 

この点を鑑みると母親の靴ということは十分考えられ、

過去問データベースの解答例はそちらで書いています。

 

確かに、それが無難な答案だとは思います。

 

それではAとBの文章を見てみましょう。

靴が母親のものだった場合、Aについては納得できますが、

Bについてはやや違和感が残ります。

 

おじさんはちゃんとした靴をもたせなかったこと、

仕事帰りに出来合いのものを買ってくる生活、

など、妹に対して不満気ではありますが、

それ以外にはっきりと不満を抱いている描写はありません。

 

それ以外のいきさつはわからないのですが、

 

そうした描写から、おばさんまでも、

「子供を預けてあっさり帰っていった、あの母親の靴を履かせるの?」

 

というように、

「ぎりぎり平静を取り戻す」というところまで抵抗を持つでしょうか。

 

(ちなみに、靴は少年にとって少し大きいようで、

 端切れを詰めて調整しています。この点も、少し疑問には感じました。

 ほぼ同い年の母親の靴が少年より明らかに大きい。

 もちろん、あり得ることではありますが。)

 

ただし、Aの描写が、母親(おじさんの妹)への悪感情ではなくて、

「これだけ大切に保管していた妹の靴を履かせるの?」

という意図だと読めばそれもありなのかな、という気は一応します。

 

テストでは、主観的な要素を入れずに、

本文に根拠がある内容が一番無難ですから、

この結論を書いておくのが

実際の入試としては「正解」だとは思います。

 

 

ただ個人的には、読んでいる途中から、この靴は、

おじさん夫婦の(おそらく)亡くなった息子のものではないか、

と感じました。

 

そうであればA・Bの描写ともに、納得することができるのですが、

そうした描写が問題文中に一切ないことが大きな問題です。

 

しかし、

麻布中が「君はどのように考えますか」という形で

聞いてきているということは、

 

絶対的な正解を書かせたいというよりは、

根拠を示せた答案に十分点をあげよう、

という意図なのかなと個人的には感じました。

 

そうはいっても、

実際の入試の現場でどう判断するかはかなり迷いますね。

一部にしっくりこなくても無難に母親にするか、

攻めの答案で本文に描写がない息子にするか。

 

またはリスクを減らす意味で、

小賢しく両方の可能性に触れておくか。

 

悩ましい問題だと思います。