江戸時代、
開成志望者の場合、東京問題対策として
最初の宿場町を覚えてもらうことがあります。
中山道:板橋宿
この4つとなります。
五街道については特に興味があるというわけでもないため、
なぜ「新宿」だけ「新」がつくのか、という微かな疑問は持ちつつも、
特に追究することもなく終わっていました。
(内藤家の屋敷があったから「内藤」新宿、ということは知っていた)
先日、なぜ「新」なのかがようやく判明しました。
当初、甲州街道第一の宿は「高井戸」とされていたものの、
高井戸宿は品川・板橋・千住と比して、日本橋から遠く不便だった。
そこで、
もう少し手前に第一の宿を設けよう、
という動きが起こり「新宿」という名前になったとのこと。
一度廃止されていたり、いろいろあったみたいですが、
もともと地名ではなかった「新宿」が、
誰もが知っている地名として残っているというのも面白いなと思いました。