中学受験家庭教師の国語メインブログ

23区西部在住の家庭教師が日々思うことを書いていきます。

2017 駒場東邦中 国語

中脇初枝「世界の果てのこどもたち」

 

出題されている部分は以下の通り。

 

「いつでもどこでも

 自分が一番大事にされるのが当然だと思っていた」

8歳の少女、茉莉。

 

空襲で家族を失い、極限状態における人々の姿を目にしたことで、

これまでの価値観に疑問を抱く

(「盗むのはいけないこと。そんなことはわかっていた。

それなら、盗まないで飢えて死んでしまうのはいいことなのだろうか。」)

と共に、生き抜いていく決意をする。

 

 

文中、茉莉が経験するあるシーンが印象的で、心に残りました。

 

 

問10

駒場東邦定番の長文記述ですが、

直前部分を使えばある程度書くことができる

内容だったのではないかと思います。

 

問12

主題を理解していないと少し難しいかもしれませんが、

本文で何度も触れられていますので、

声を出すこともできなかった前半の茉莉と、

かつてない大声をあげている茉莉の描写から

茉莉の意識の変化を読み取って欲しいところです。

 

・漢字を15題出題し、難易度は高めなので語彙力を高めることが必要。

 採点も厳しい可能性があるので、丁寧に。

 

・受験者平均点が50~55%程度、合格者平均点は60%程度ということから、

 問題難度を考えると記述の採点が厳しめである可能性があります。

 全く手が出ない問題はさほどないのではないかと思いますが、

 要素をしっかり入れた、読みやすい文章を書けるように心がけましょう。

 

・また、記号で大きく落とすと合格が厳しくなります。

 しっかり検討すれば大きく迷うことはあまりないはずです。

読み手を意識して書く

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、

個別塾には、指導報告書というものがあります。

 

「その日の授業でどういうことをやって、

 本人の取り組みはどうだったか」

 

を親に伝えるためのものです。

 

かなり昔のことですが、教室の責任者から

 

先生の報告書は素晴らしいですね。

どこかで書き方を指導されたのですか?

 

ほかの先生にも見習ってほしい

 

と言われたことがあります。

自分で書くのも恥ずかしいですけれど。

 

こちらとしては、

全て自己流で考えてやっていただけで、

書き方を指導されたことなどないですし、

そもそもいい報告書なのかも自覚していませんでした。

(「悪くはないだろう」と思ってはいましたが)

 

悪くはないだろう

 

と思っていた理由は3つほどあります。

 

1.読める字で書いている

 

当たり前のことですが、文章というのは

読んでくれる人がいて初めて意味を成すので、

読めない字で書いても何の意味もありません。

 

何を当たり前のことを言っているんだ、という感じですが、

世の中、悪筆な人が一定程度存在することは周知の事実かと思います。

 

指導報告書でも、

解読困難なレベルの文字を書いている人が時折います。

ひどい人は本当に、アラビア語サンスクリット語

混入しているような感じの字ですからね・・・

 

親が読む(中には読まない人もいるでしょうが)ことを

全く意識していないと言えます。

 

 

僕は字がうまいとはとてもいえないのですが、

先生は字がきれいだよね」と言われることが時々ありました。

(まあ確かに比較対象を考えれば「きれい」と言えるかなと思いますが・・・)

 

一応、読めないと言われたことはほぼないですし、

(急いで説明していて、殴り書きの時は除く)

小学生の頃から「誤読されない字を書こう」という意識はかなり強かったです。

 

最近思うのは、

ほれ、しょうがないから書いてやったぞ。ちゃんと解読しやがれ!

 

という感じの字をテストで書く男子、多いですね。

1画1画しっかり書こう、という意識が弱い人がとても多いです。

 

小学校の書写の授業を相当適当に受けているのでしょうか。

それとも、テストの答案になるとそうなってしまうのか。

 

結構深刻な問題です。

 

2.生徒の出来るところ、出来ないところをはっきり書く

 

実はこの指導報告書、

「よく頑張っていました」とか

「集中して取り組んでいました」

 

といった無難な、というか

ほぼ何の内容もないことを書く人が結構多いんですね。

 

1点、そうならざるを得ない事情としては、

 

基本的に授業時間内に報告書を書かなくては

サービス残業になってしまう、という点があります。

(別途報告書作成用の時間を取っているところもありますが)

 

これは1:複数の指導の場合、

時間的に相当シビアなので、まともな報告書を書く時間がありません。

 

(学年や科目、学力が全く異なる複数人に対して

テキストやプリントを用意して、演習を指示して、質問に対応し、

演習の進捗状況をみて新たな指示をし、宿題を出し、

可能なら少しは雑談も交えながら学校からの課題や授業の状況を聞き出し・・・)

 

これは構造的な問題ですので、

一概に先生のせいというわけでもないのです。

1.の字が汚いというのもある程度は仕方がありません。

(やはり読めなくては意味がないので限度はありますが)

 

しかし、当たり前ですが、ほとんどの親は

子供の成績が良くなって欲しいと思って塾に通わせています。

 

1回の指導で劇的に成績が向上するということはないにしても、

良くなった点があればはっきり見えるようにしてあげると

喜んでくれることは明らかだと思います。

 

また、出来ないところ≒弱点の指摘も重要です。

 

「ここが出来ていないことがわかった」

「こういうところが苦手なことが分かった」

 

もちろん「指摘してあとは知らない」ということではなく、

「今後改善を図ります」というニュアンスで書く必要はありますが。

 

とはいえ弱点を指摘するのは、

自分の指導が至らないことを認めるような気もしますし、

一般的には書きにくいのかもしれません。

 

しかし、この点は意外と意識されていないと思いますが、

弱点を見つけたというだけでも実は大きな進歩です。

よくわかっているご家庭は理解してくれると思います。

 

もし、そこの個別(先生)では弱点が埋まらなかったとしても

何もわかっていない状態よりは遥かにましです。

 

例えば、公立小・中などで成績が低迷している人というのはほぼ確実に、

何がわからないのかがわからない」という状況ですが、

 

成績上位になればなるほど、

自分にはここが足りない」という部分が明確になっていきます。

 

また、見方を変えれば

「その日にやった単元をその場で多少理解した」ということは

まあ良かったと言えば良かったのですが、

ある意味では当たり前だとも言えますので、

こちらの方が重要だということも言えるでしょう。

 

3.アドバイスを書く

 

これはケースバイケースで

いつもやっていたわけではありませんが、

「こうしたらどうか」ということを

何か思いついた時はできるだけ書いていました。

 

といったところですね。

 

まあ、一体誰向けの記事なのか、という気はしますが、

参考になる部分がありましたら幸いです。

2011 海城中 国語 (第一回)

佐川光晴「おれのおばさん」

 

父親の不祥事が原因で

「東大合格者数ナンバーワンの名門、開聖学園」を退学した陽介は

札幌で児童養護施設を営む伯母のもとに身を寄せ日々を過ごしていきます。

 

出題箇所は、

学校が陽介の事情を別の生徒の親に話してしまったことについて、

保護者と本人、学校側の話し合いが行われるシーン。

 

海城中学の国語は記号中心のオーソドックスな構成です。

記号の選択肢はやや長めで、

難易度も低いというわけではないですが、

しっかり本文を読んで解けば

一般的にはそれほど手こずることはないはずです。

 

海城の問題で大きく躓くという人は、

読解力を向上させる必要があると思います。

 

過去問を解く段階まで来て、これを行うのはなかなか大変な作業ですが、

文章の要旨を掴む練習をしてみましょう。

 

※問4の答えについて

四谷大塚では「エ」になっていますが、

個人的には「ア」かなと思います。

 

夏の葬列(+国語力の懸念:追記)

www.aozora.gr.jp

 

未読の方はよろしければ読んでいただければと思います。

重い話ですので気持ちに余裕のある時に。

 

サピックスBテキストに収録されています

 

東邦大東邦中、鎌倉学園中などで出題されています

 

・中学2年生の国語教科書にも採用されています

 

 

「――でも、なんという皮肉だろう、と彼は口の中でいった。あれから、おれはこの傷にさわりたくない一心で海岸のこの町を避けつづけてきたというのに。そうして今日、せっかく十数年後のこの町、現在のあの芋畑をながめて、はっきりと敗戦の夏のあの記憶を自分の現在から追放し、過去の中に封印してしまって、自分の身をかるくするためにだけおれはこの町に下りてみたというのに。……まったく、なんという偶然の皮肉だろう。」

 

問1「偶然の皮肉」とはどういうことですか。

わかりやすく説明しなさい。

 

「やがて、彼はゆっくりと駅の方角に足を向けた。風がさわぎ、芋の葉のにおいがする。よく晴れた空が青く、太陽はあいかわらずまぶしかった。海の音が耳にもどってくる。汽車が、単調な車輪の響きを立て、線路を走って行く。彼は、ふと、いまとはちがう時間、たぶん未来のなかの別な夏に、自分はまた今とおなじ風景をながめ、今とおなじ音を聞くのだろうという気がした。そして時をへだて、おれはきっと自分の中の夏のいくつかの瞬間を、一つの痛みとしてよみがえらすのだろう……。
 思いながら、彼はアーケードの下の道を歩いていた。もはや逃げ場所はないのだという意識が、彼の足どりをひどく確実なものにしていた。」

 

問2「もはや逃げ場所はないのだ」とありますが、どういうことですか。

わかりやすく説明しなさい。

 

設問は今考えた自作です。

(問1は某テキストにもありましたね)

 

大人であればこの文章の内容や、

設問に答えることはそう難しくないと思います。

 

井上ひさし「父と暮らせば」では、

「原爆で生き残ってしまった」という罪悪感がテーマになっています。

(似たようなテーマを他の作品でも見たような気もします)

 

一方、この作品の罪悪感はさらに重いものですが、

そうであるがゆえに小学生にもある程度理解しやすいと言えるかもしれません。

設問に十分答えられるかはさておき。

 

戦争文学の切り口は多様だな、といつも思います。

 

 

※追記

 

先日、この作品について、

 

「塾のクラスで『主人公は自己中だ』と話題になった」

 

という話を聞きました。

 

この話を読んでそのような感想になるということは、

まず、戦争の不条理性についての意識が低いのでしょう。

 

これはそうした題材に触れた経験がないことが大きな理由でしょうが、

日常生活においてそのような不条理を感じる経験が少ないので類推がきかない、

ということもあるのではないでしょうか。

 

一面ではいいことだとは思います。

 

ただ、親に対する態度も含め、

かなり自分の思うままに振舞っているな、と感じる子も見かけます。

 

(「小皇帝」という言葉なども今ちらっと浮かびました。

 それ自体の是非は置いておきますが)

 

加えて、登場人物の状況が全く実感できていない。

 

命の危険がある状況において、

利己的とも受け取れる行動をとったとしても、

それは生物なら当然のこと。

 

また、ずっと罪悪感を抱えたまま生きるのは辛いので、

それを解消したいと願うのも自然なこと。

 

後者は理解できないのもやや仕方ないかもしれませんが、

そういった視点もなかなか持てないようです。

 

もちろん、ここで躓いていると罪悪感が強まってしまった主人公の

今後の人生における苦悩(中学受験難関校の出題レベル)や、

上記自作問題などには答えられませんが、それ以前の問題と言え、

 

個人的には、なかなかの衝撃を受けた出来事でした。