中学受験家庭教師の国語メインブログ

23区西部在住の家庭教師が日々思うことを書いていきます。

夏の葬列(+国語力の懸念:追記)

www.aozora.gr.jp

 

未読の方はよろしければ読んでいただければと思います。

重い話ですので気持ちに余裕のある時に。

 

サピックスBテキストに収録されています

 

東邦大東邦中、鎌倉学園中などで出題されています

 

・中学2年生の国語教科書にも採用されています

 

 

「――でも、なんという皮肉だろう、と彼は口の中でいった。あれから、おれはこの傷にさわりたくない一心で海岸のこの町を避けつづけてきたというのに。そうして今日、せっかく十数年後のこの町、現在のあの芋畑をながめて、はっきりと敗戦の夏のあの記憶を自分の現在から追放し、過去の中に封印してしまって、自分の身をかるくするためにだけおれはこの町に下りてみたというのに。……まったく、なんという偶然の皮肉だろう。」

 

問1「偶然の皮肉」とはどういうことですか。

わかりやすく説明しなさい。

 

「やがて、彼はゆっくりと駅の方角に足を向けた。風がさわぎ、芋の葉のにおいがする。よく晴れた空が青く、太陽はあいかわらずまぶしかった。海の音が耳にもどってくる。汽車が、単調な車輪の響きを立て、線路を走って行く。彼は、ふと、いまとはちがう時間、たぶん未来のなかの別な夏に、自分はまた今とおなじ風景をながめ、今とおなじ音を聞くのだろうという気がした。そして時をへだて、おれはきっと自分の中の夏のいくつかの瞬間を、一つの痛みとしてよみがえらすのだろう……。
 思いながら、彼はアーケードの下の道を歩いていた。もはや逃げ場所はないのだという意識が、彼の足どりをひどく確実なものにしていた。」

 

問2「もはや逃げ場所はないのだ」とありますが、どういうことですか。

わかりやすく説明しなさい。

 

設問は今考えた自作です。

(問1は某テキストにもありましたね)

 

大人であればこの文章の内容や、

設問に答えることはそう難しくないと思います。

 

井上ひさし「父と暮らせば」では、

「原爆で生き残ってしまった」という罪悪感がテーマになっています。

(似たようなテーマを他の作品でも見たような気もします)

 

一方、この作品の罪悪感はさらに重いものですが、

そうであるがゆえに小学生にもある程度理解しやすいと言えるかもしれません。

設問に十分答えられるかはさておき。

 

戦争文学の切り口は多様だな、といつも思います。

 

 

※追記

 

先日、この作品について、

 

「塾のクラスで『主人公は自己中だ』と話題になった」

 

という話を聞きました。

 

この話を読んでそのような感想になるということは、

まず、戦争の不条理性についての意識が低いのでしょう。

 

これはそうした題材に触れた経験がないことが大きな理由でしょうが、

日常生活においてそのような不条理を感じる経験が少ないので類推がきかない、

ということもあるのではないでしょうか。

 

一面ではいいことだとは思います。

 

ただ、親に対する態度も含め、

かなり自分の思うままに振舞っているな、と感じる子も見かけます。

 

(「小皇帝」という言葉なども今ちらっと浮かびました。

 それ自体の是非は置いておきますが)

 

加えて、登場人物の状況が全く実感できていない。

 

命の危険がある状況において、

利己的とも受け取れる行動をとったとしても、

それは生物なら当然のこと。

 

また、ずっと罪悪感を抱えたまま生きるのは辛いので、

それを解消したいと願うのも自然なこと。

 

後者は理解できないのもやや仕方ないかもしれませんが、

そういった視点もなかなか持てないようです。

 

もちろん、ここで躓いていると罪悪感が強まってしまった主人公の

今後の人生における苦悩(中学受験難関校の出題レベル)や、

上記自作問題などには答えられませんが、それ以前の問題と言え、

 

個人的には、なかなかの衝撃を受けた出来事でした。