他の先生のブログで、国語の解説について触れられていました。
要は、「国語の授業ではなぜ結果論の解説しかされないのか」
というものです。
これは私が何十年も抱いてきた疑問です。
これまで受けてきた国語の授業の印象は、
1.学校で受けた国語の授業
扱う文章について深い内容?に踏み込んでいたようですが、
その内容はともかくとして、中学・高校でも普遍性は全く感じませんでした。
2.塾、予備校での授業
・中学受験、四谷大塚では国語の授業を取っていなかったためわかりませんが
テストの解説授業は比較的後付けだったように思います。
・高3の時、大手予備校のセンター直前対策講座(現代文)を
念のため取ってみました。
大学入試の現代文は論理性が高くなっており、
国立大の記述問題はもちろんのこと、選択肢の選び方等についても
解答手法というものを意識する必要をそれなりに感じたからです。
ところが、その実態は「本文に同様の内容があるので、ウが正解」
といった後付けのような授業でした。全く普遍性は感じられません。
この先生は予備校内ではある程度名のある(と認識していた)方だったので、
どんなものだろうと思ったのですが、年明けの貴重な時間が無駄になり残念でした。
(某予備校では他に「現代文添削」という講座を週1で取っていました。
この講座はまず1時間ほど文章についての解説を受け、
残りの2時間は各自ひたすら記述答案を作成し、
その都度見せに行って添削してもらうというものです。
1問について何度も直して添削してもらうこともあります。
いわゆる最上位的なクラスのため受講者は15人くらいしかいませんでしたが、
とてもためになりました)
長くなりましたが、
人生において普遍的な内容の国語指導を受けたことは全くありません。
(実践特化の、現代文添削は除く)
以前より常々疑問でしたが、
上記センター講座で疑問はかなり強いものに変わりました。
どうしてこんなことになっているのか。
もっといい授業ができるのではないか。
これが今家庭教師をしている大きな理由です。