中学受験家庭教師の国語メインブログ

23区西部在住の家庭教師が日々思うことを書いていきます。

「内申美人」

以前、将棋の藤井聡太くんが

 

「授業で理解できているのに、

 なぜ宿題をやる必要があるのですか」

 

という質問をしたと話題になったことがありました。

 

確かに、授業で完全に理解している内容であれば、

もう一度行うことに意味はほとんどないように思います。

 

彼は他にやりたいことがあるため、

意義を見出せないことはやりたくなかったのだろうな、

と個人的には受け止めました。

 

 

さて本題です。

 

公立中学校で内申点を稼ぐためには

例えば以下のような作業が必要であるという記事を見ました。

 

公立中学校の教科の内容は十分理解しているのだが、

 

・あえて先生に質問に行ってやる気をアピールする

 

・ノート提出などでは、初回は一部をわざと間違え、

 再提出の際に正答することで、

 努力の結果理解できるようになった、というアピールをする

 

 

初回はわざと間違えて努力を見せるとか、

世の中には凄い発想があるんだなと思いました。

 

 

・わざと間違えてもう一度出すとか、完全に時間の無駄ではないか

 

・公立中の先生は部活指導とかで忙しいんじゃないのか、

 そんな無駄な質問(わかっている内容をあえて聞く)をして

 仕事を増やすような奴の成績が上がるのはおかしいのではないか

 

などと思ってしまうような人は

公立中→都立トップ高校のルートにはあまり向いていないと思います。

 

 

事情が許せば、実力のみで公平な中学受験はお勧めです。

 

 

ところが、

 

こうした、いわゆる「内申美人」とも

一部で呼ばれるような振る舞いについて、

 

「社会に出れば上司や取引先に好かれることも大事だから、

このような経験も必要である」

 

という意見もあるようです。

 

やはり色々な意見があるものです。

 

確かに人間関係を円滑に進めることは必要かもしれませんが、

 

それは中学校で、

このような形で高校への進学を人質にとってまで、

身に着けさせるべき内容なのでしょうか。

 

 

もう1点、

こちらは教育内容自体への疑義なので別の観点ではありますが、

同様に成績が人質になっているので。

 

以前、国語の語彙問題について

「テストでは、ワークの解答と一字一句違わず書かないと×にする」

 

と指示する公立中の国語プリントを見たことがあります。

 

当たり前ですが、同じ言葉でも

「辞書によって表現の仕方が違う」というのは普通です。

 

普通ですが、

 

(理由を推測すれば)

「採点が面倒だからワークの答え以外は受け付けない」ということです。

 

 

公立中の先生は色々多忙であるとか、

そのような指示をした理由は何かあるのかもしれません。

 

しかし、ここでは生徒の多様性や

日本語の表現の豊かさというものは

採点側の都合によってすべて無視されています。

 

当然ながら、

生徒はワークの答えをひたすら丸暗記することになるでしょう。

 

自分もそんなに偉そうなことは言えないのですが、

あえて言ってしまえば、

 

これは果たして教育と言えるのでしょうか。

 

中学受験のテストでも、塾の記述問題の答えを

機械的に(時にはとても雑に)丸写しするだけになっている子は結構います。

 

やはり偉そうなことは言えないのですが、

国語とはそういうものではないよね、と思っています。